そうだよね^_^;世の中の不登校に対する視線
さっきピンポーンとチャイムが鳴った。
誰かなぁ〜と思いながら出てみると、学校内で児童クラブの責任者をされている方がいるではないですか!
ビックリポンでしたが話しを聞いてみると、何やらうちの子(下の小学2年👧🏻)が不登校だという話しを耳にしてわざわざ来てくださったみたい<(_ _)>
でもお相手の方がおっしゃる内容は・・・
「お家でお勉強しているの?ドリルとかあるでしょ」
「体も動かさないとね」
「朝はカーテンを開けて空気入れ替えるのが大事よ」
「お母さんも地域の役員やらしてドンドン外に出なきゃね」
心配してわざわざ来てくださりアドバイスをくださる気持ちはありがたく受け取りましたが、正直これらの言葉は私には届きませんでした。
子供たちが不登校になる前の私はこの方と同じような考えでしたから、その言葉が出てくるのはよくわかります。
私は世の中の正しいと言われることを疑いもせずに正しいとしてきました。
幼稚園に行くこと。
学校に行くこともそう。
ネットをしすぎるとネット依存になる。
昼夜逆転は万病のもとetc...
『世の中の常識』
私はこの常識から外れたことをするという事は、恐ろしいことだと認識していました。
でも子供たちが不登校になって悩みに悩み、子供の心を感じることの出来た “今”は違います。
正しさは大切。
でもそれ以上に大切なものがある。
それは…
✿ 心 ✿
「心・思い・気持ち」
これを無視した正しさは人の心を無意識に傷付けてしまう〝危険な刃物〟になりかねないんだなって。
私の中の正しさや常識というようなものは、子供たちに伝えるべき時にそっと伝える
(花を添えたメッセージカードみたいなイメージです💐💌)← 出来ない時多々ありますが( ˊᵕˋ ;)
後は子供がそのメッセージをいつ、どう受け取るかは子供自身に任せる(*´ω`*)
今の私の心は、そんな心です。
例え誰かが又は自分が良くないと思えることをしたとしても、必ずそこには何かしらの理由があると私は思っています。
例え本人が自覚していなくても心の根っこに潜在的な理由が何かある。
(伝わるでしょうか...。語彙力無さすぎて申し訳ない⤵️)
私自身が鬱状態になった経験や主人のモラハラ、子供達の不登校を通して気付かされた
『大切な宝物 』 の一つです。
私は私の人生を生きる中で頂いた大切な宝物を
自分・夫・子供
それから友達
そして世の中の誰かの為に
輝かせることが出来る人になりたいなって思うのです。
話は前後しますが、私はその方に私の思いをお伝えする為に少しだけお話しさせてもらいました。
「気にかけて下さりわざわざお越しくださりありがとうございます。
子供たちは今のところ勉強は一切していません。
頑張り続けてきて疲れ切っているこの子達に
“思う存分ゆっくりしていいんだよ”
と伝えています。勉強は自分がしたくなったらし始めると思っているんです」
きっとこれからも、世の中の不登校に対する視線にぶつかりまくると思います。
不登校に限らず、世の中の当たり前に翻弄されることがこれから先もあると思うけど、
何よりも 「心」(思い、気持ち)を感じること。
この事を大切に生きていきたいな。